<56年の歴史に幕>大塚製靴が日吉工場を閉鎖へ、跡地は92戸のマンション

横浜日吉新聞

大塚製靴(本社:東京都港区六本木、山田晋右社長)が日吉本町4丁目に置いている日吉工場(横浜工場)を今年(2017年)限りで閉鎖する方針であることがわかりました。約4000平方メートルの跡地は2019年7月末までに92戸のマンションが建てられる予定。1961(昭和36)年6月から56年間にわたって日吉の街で行われてきた靴づくりの歴史が閉じられることになります。

日吉本町4丁目の日吉台中学校隣接地にある大塚製靴の日吉工場

3階建て(一部4階建て)の日吉工場は来年(2018年)1月から解体が行われ、同年4月から新日本建設(千葉市美浜区)によって5階建て・高さ15メートルの分譲マンション建設が行われる計画。同社は「エクセレントシティ」ブランドのマンションを展開しており、大塚製靴の跡地計画には「(仮称)EXC日吉本町計画 新築工事」との名称を付けています。

大塚製靴によると、現在の日吉工場は社員20~30人程度が勤務しているだけだといい、「別の場所で適正な規模の工場にしていく」(同社)と説明します。定期的に開いてきた靴の特売「ファミリーセール」については、工場閉鎖までの9月と10月、11月の3回にわたって行う予定とのことです。

西洋靴文化を牽引した大塚製靴、日吉工場が支える

1872(明治5)年に現在の港区新橋で創業した大塚製靴。明治天皇の靴を製造するなど、日本の西洋靴文化を牽引してきた同社が日吉と関わりを持ったのは、戦前の1940(昭和15)年までさかのぼります。海軍の軍靴工場用地として現在地を含めた周辺の約5万8000平方メートルにおよぶ土地を購入したことが端緒でした。

初代の日吉工場の敷地だった部分は多くがマンション用地として転換されている(グーグルアースを加工して利用)

同社は1961(昭和36)年に日吉台中学校に隣接した購入地の一部(約1万8000平方メートル)を使って工場を新設。当時の日吉工場は、「その内部を一本の柱にも支えられることなく、さながら、えんえんたる風洞のようにのびている。はるかのかなたに、同じ職場の人間を霞(かす)むように見通せる景観には、やはり近代建築の持つ驚異のようなものが感じられる」(大塚製靴株式会社五十年)というほどの規模で、同社の靴生産力を飛躍的に向上させたといいます。

現在の日吉工場は、大塚製靴創業満120周年を迎えた1992年10月に建てられた二代目で、3階建て(一部4階建て)とすることで旧工場と同様の延べ床面積を確保。周辺の住環境と調和することを目指し、一見して工場には見えないような“インテリジェント・ファクトリー”といえるデザインとしたほか、「企業の将来の発展と地元日吉地区に親しみやすい工場として市民に開放して利用して頂く」(同)ことを狙いとし、「クツのオーツカ資料館」やショールームなどを設置したのが特徴です。

定期的に開催される特売「ファミリセール」時には日吉駅から工場まで無料送迎バスも運転されている

しかし同社は、2000年代初頭になると販売不振に陥ってしまいます。2001年には日吉工場の建て替えによって生まれた遊休地のうち、約1万1000平方メートルをミズノ系企業に貸し出し、同社が「ミズノフットサルプラザ日吉」として2005年3月まで運営。その後、2007年2月には209戸の大型マンション「ザ・ガーデンズ日吉本町」の建設用地として売却されることになります。

さらに2003年には、3000平方メートルほどの遊休地も日本綜合地所(現大和地所レジデンス)に売り、現在は60戸のマンション「グランシティ日吉本町マスターズコート」に変わりました。

二代目となる現在の日吉工場は1992年11月に住宅街の周囲と調和したデザインで建設、わずか25年で解体されることに

145年におよぶ大塚製靴の歴史において、日吉工場は同社事業の根幹を支える象徴的な存在でしたが、その役割は年々縮小していたようで、すでに靴生産の中心は千葉県に置かれた自社工場や、外部の協力工場に移っているとみられます。

日吉の街で半世紀以上にわたって親しまれてきた大塚製靴。これまでに日吉から撤退した多くの企業拠点と同様に、マンションに変わることになりました。

(※)本記事は読者の方からの情報提供をきっかけに掲載しました。ありがとうございます。

(※)大塚製靴の歴史については同社の社史「大塚製靴百年史」(1976年)と「大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化」(2003年)を参照しました。

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【参考リンク】

オーツカの変遷(大塚製靴)

クツのオーツカ資料館の紹介(日吉工場内)


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