綱島時代の青学グラウンドに伝説残す、元メジャー・ロッテの井口選手が引退 | 横浜日吉新聞

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綱島上町に拠点を置いていた時代の青山学院大学野球部で活動した数少ないプロ野球現役選手のひとり、千葉ロッテマリーンズの井口資仁(ただひと)内野手が今シーズン(2017年)限りでの引退を発表しました。今は巨大なマンション群となった「グリーンサラウンドシティ」の場所で、同選手らが球音を響かせていた時代も昔話となりそうです。

2005年からは米国大リーグのシカゴ・ホワイトソックスなど3球団で活躍した井口資仁選手(2006年)

1974(昭和49)年生まれの井口選手は、国学院久我山高校を経て青山学院大(青学)に進学。東都大学リーグやアトランタ五輪での野球日本代表で活躍し、1996年のドラフト1位で当時のダイエー(現ソフトバンク)ホークスに入団。2005年からは米国大リーグのシカゴ・ホワイトソックスなど3球団でプレーしたのち、2009年に日本へ戻り、現在は千葉ロッテマリーンズに所属しています。日本球界では最年長の野手として42歳の今年も35試合(6月20日現在)に出場中です。

井口選手が1993年に入学した青学では、1961(昭和36)年から綱島上町に「綱島総合グラウンド」を置いており、東京ドーム約1.3個分という約6万5000平方メートルの敷地内には、野球場や野球部の合宿所のほか、サッカー場やラグビー場、テニスコート、「マクレイハウス」と名付けられたクラブハウスに加え、馬術に使う馬場なども整備。かつて日本陸連が公認する陸上競技場もあり、箱根駅伝で知られる陸上競技部も1970年代後半までは綱島が拠点でした。

1963(昭38)年の地形図には完成して間もない「青山学院大学綱島総合グラウンド」の陸上競技場と野球場らしき輪郭が見える(横浜市建築局「横浜市三千分一地形図82-4新吉田」より)

しかし、青学が厚木市から相模原市の淵野辺にキャンパスを移す再編を機に、綱島総合グラウンドも2001年9月をもって閉鎖されてしまいます。同大学がキャンパス移転に関わる費用に充てるため、綱島の土地を売り払ったのではないか、との見方もあります。

16~17年前までは青学運動部が拠点としていた綱島。そんな時代の“伝説”として今も伝わるのが井口選手と、1989年に入学し、その後はダイエーや読売ジャイアンツで活躍した小久保裕紀さん(前野球日本代表監督)の2人で、両選手とも練習で打球を飛ばし過ぎてネットを越えることが多々発生。近所に迷惑をかけたことから、次々とネットが高くなり、それらは「小久保ネット」と「井口ネット」と呼ばれていたといいます。

青山学院大学綱島総合グラウンドの跡地は2003年以降「グリーンサラウンドシティ」として19棟945戸のマンションが順次建てられ、約3000人が暮らす街となっている

現在もプロ野球界には、綱島時代を知る現役選手として1998年に青学へ入学した東京ヤクルトスワローズの左腕・石川雅規投手が活躍していますが、伝説を残したという点では、井口選手が青学綱島時代の“最後の象徴”といえるかもしれません。

メジャーも経験したプロ野球選手を輩出した野球場が綱島にあった時代を思い出しながら、最後のシーズンとなる井口選手の活躍に注目してはいかがでしょうか。

【関連記事】

日吉台中出身の立正大・黒木優太投手、プロ野球オリックスが2位で指名(2016年10月21日)※2017年6月24日に黒木投手と井口選手が初対戦

来秋プロ候補、慶應大野球部の巨砲が飛ばす打球に下田グラウンド周辺は戦々恐々(2016年11月26日、日吉の慶應大野球部でも「飛ばし過ぎ」として伝説となりそうな選手が所属)

【参考リンク】

井口選手 引退のお知らせ(2017年6月20日、千葉ロッテマリーンズ)

井口 次々記録量産した青学大時代 記者泣かせの東都の星(2017年6月20日、スポニチアネックス、綱島時代の話も)

「青山学院大学綱島総合グラウンド~港北区と野球の関係・その2」PDF、「シリーズわがまち港北」第204回、林宏美・大倉精神文化研究所研究員著、※小久保や井口両選手の貴重なエピソードなど、綱島総合グラウンドの詳しい内容が分かる)


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