学内寿司店や食堂発の著名企業、慶應日吉の「学食」はユニークな歴史満載

横浜日吉新聞
ひよしコラム

ひよしコラム日吉での学食運営をきっかけに、綱島にあった松下通信工業の給食を担うなど現在はフードサービスの大手に育った企業や、なぜか大学内に寿司店をオープンさせた野球部ファンの主人など、慶應義塾大学日吉キャンパス内の学食の歴史をひも解くと、ユニークなエピソードが多数隠れていました。慶應の各キャンパス内における学食事情と歴史について、慶應義塾の季刊広報誌「塾」の2017年冬号が詳しく伝えています。

慶應義塾広報誌「塾」2017年冬号で、日吉キャンパスを含め学食の歴史を特集

慶應義塾広報誌「塾」2017年冬号では、日吉キャンパスを含め学食の歴史を特集

今から80年以上前の1934(昭和9)年4月、まだ人家がまばらだった日吉台の地に開設された日吉キャンパス。そこへ「予科新入生約1000名が入学したのだから、昼食の場所に困ったことは容易に想像できる」(同誌)といい、同年11月に初の「大食堂」がオープンしています。

この大食堂はコテージ風の木造2階建てで、赤い屋根だったことから「赤屋根食堂」と呼ばれた日吉キャンパスの象徴的な学食。米軍接収時の焼失と再建を経て、1956(昭和31)年まで親しまれました。

この“赤屋根食堂”と入れ替わるように設けられたのが、現在まで日吉で続く学食の「グリーンハウス」です。この名前は学生の公募によって選ばれたといい、採用された学生には食券1年分が贈られたというエピソードも紹介されています。

このグリーンハウスは、名称決定と同時に企業としてもスタートしており、1960(昭和35)年には綱島東4丁目に本社を置いていた松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ)にも給食を提供。その後も企業や官公庁の職員食堂を次々と受託し、現在ではアジア各国にも飲食店を展開するなど、年間1300億円超を売り上げる著名なフードサービス企業となっています。

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今はなき日吉キャンパス内学食の貴重な写真も(「塾」2017年冬号)

もう一つ、忘れてはならない伝説の学食が「梅寿司」。1990年に閉店するまで約40年近く営業していたといいます。

大田区の武蔵新田で飯田信治さんが経営していた同店は、同地に練習場があった野球部に親しまれていました。現在の下田町にグラウンドが移転するに際しては、同氏の寿司店も共に日吉へ移転したという歴史があったそうです。大学キャンパス内ではめずらしい寿司店が生まれたきっかけは、野球部にあったのです。

開校から80年超を経た現在は、しゃれたレストランから生協食堂、全国系のカフェ、高級レストラン、学内なのに昼間から一杯飲めるバーまで、多数の飲食店が存在する“グルメ天国”の日吉キャンパス。これから先、どんな変化を遂げていくのでしょうか。

【参考リンク】

慶應義塾広報誌「塾」2017年冬号(特集「義塾の学食~いま・むかし~」)

慶應義塾史跡めぐり第96回~学食の変遷(「三田評論」2014年12月号、大澤輝嘉氏)

グリーンハウス物語(株式会社グリーンハウス=日吉から飛躍したフードサービス企業)

シリーズ「わがまち港北」第196回「球春到来!!-港北区と野球の関係・その1」(「梅寿司」に関するエピソードあり)

日吉キャンパス内の学生食堂一覧


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