綱島在住の経営者・高山さん、40代で二度の「がん」克服経験を伝える活動を開始

横浜日吉新聞
書籍「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」(幻冬舎)
高山さんの初書籍「治るという前提でがんになった」(幻冬舎)は医師からも「見事」との声が届く

高山さんの初書籍「治るという前提でがんになった」(幻冬舎)は医師からも「見事」との声が届く

40歳で生存率が25%以下の悪性脳腫瘍(しゅよう)を乗り越え、42歳時には4割しか助からないと言われる白血病をも克服した綱島西在住の会社経営者・高山知朗(のりあき)さん。このほど初の書籍「治るという前提でがんになった~情報戦でがんに克つ」(2016年9月、幻冬舎)を刊行しました。主体的に病気と向き合い、低い生存率の病に立ち向かう方法や自身の姿をありのまま伝えた本書は、全国のがん患者や闘病中の人に勇気を与えています。

1971(昭和46)年に長野県南部の伊那(いな)市で生まれた高山さんは、早稲田大学を卒業後に外資系コンサルティング企業のアクセンチュアに勤務結婚を機に「妻の勤務先に近かった」ことから綱島に転居して以来、長年にわたって住み続けており、「子どもが生まれ、もう離れられない第二の故郷」になったといいます。

アクセンチュアを退社してベンチャー企業勤務を経験した後、2000年に自ら立ち上げたIT企業・オーシャンブリッジ(東京都渋谷区)を順調に成長させ、家庭では待望の長女が生まれるなど、幸せに暮らしていた矢先に病に見舞われました。

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仕事中の欧州で倒れ、帰国できない危機に

高山さんが2000年に創業した株式会社オーシャンブリッジ 。海外の優良なソフトを日本で広めたケースも多い

高山さんが2000年に創業した株式会社オーシャンブリッジは、海外の優良なソフトを日本で多数広めた功績を持つ

高山さんが創業したオーシャンブリッジは、IT企業といっても“一攫千金”を狙う華やかなインターネット企業ではなく、海外の優れたソフトを発掘し、日本企業が使いやすいよう日本仕様にして国内で販売するという”BtoB(企業間取引)”事業が柱。自らが先頭に立って国内外を飛び回っていた5年半ほど前の2011年6月40歳時に訪れていたヨーロッパで病気が発覚します。

1歳になったばかりの子どもが肺炎で入院したとの知らせが届き、仕事を切り上げて日本へ帰国する途中、乗り継ぎ地のスイス・チューリッヒの空港で身体に異変が起こりました。

「世界がぐるぐる回ったような感覚」になって意識を失い、搭乗ゲートのベンチから崩れ落ちて床に倒れ、空港の救急センターに運び込まれます。脳の異常が懸念されるため「このまま飛行機に乗せるわけにはいかない」と言う医師。「娘が入院しているので、どうしても日本に帰らなければならないんです!」と英語で必死に食い下がる高山さん。最後には現地の医師が折れ、処方した薬を飲むことで搭乗が許可され、帰国が叶います。

「この時、もし飛行機に乗れなかったら現地の病院で悪性の脳腫瘍が発覚していたでしょう。そうなると帰国もできず、日本のように周りからの適切なアドバイスや治療が受けられずに、私はこの世にいなかったかもしれません。綱島で待つ娘が私を呼び戻し、救ってくれたのかもしれません」と振り返ります。

生存率は25%「子の成長を見ず死ねない」

2008年から続く高山さんのブログには闘病の様子が包み隠さず書かれている

2004年から続ける高山さんのブログには闘病の様子が包み隠さず書かれている

帰国後、5年以内の生存率が6%から25%という悪性脳腫瘍(グリオーマ)と診断され、「自分はもうすぐ死ぬかもしれない」とショックを受けた高山さん。自らの調査や友人らの助言で、同分野での治療成績が全国平均を上回る東京女子医科大学病院(新宿区)を探し出します。

「子どもの成長を見ずに死ぬことなんてできない。絶対に娘の20歳の誕生日には美味しいお酒で乾杯する、だから生存率もデータも関係ない。あと19年は最低でも生きる」――。そんな決意と目標を胸に、左半身不随などの後遺症が残ったとしても少しでも長く生きられるよう、できる限り腫瘍を取り切ることを選択します。

そして、不安な難手術を乗り越え、視野の一部が見えなくなるという後遺症を残しながらも無事に綱島の自宅へ戻ります。「家に帰ると、1歳の娘が絶叫するように喜んでくれたのが今も忘れられません」。

ところが、会社へ復帰し、経営者として新事業を立ち上げるために邁進していた時、次の病気が襲います。脳腫瘍から2年後に見つかったのは、血液のがんである悪性リンパ腫。5年生存率が40%ほどだと言われる白血病でした。

2年後には白血病、苦しい治療で精神も疲弊

長い治療の末、今年(2016年)11月に「元がん患者」となった高山さん

長い治療の末、今年(2016年)11月には完治にこぎつけ「元がん患者」となった高山さん。「今も視覚障害は少し残っていますが、がんが再発する心配はひとまずなくなりました」

生存率が4割という数字にまたも失意の底に落とされた高山さん。苦心の末に白血病治療に定評のある虎の門病院を探し出し、「娘が20歳になるまであと17年は生きたい、これが人生の目標なんです」と著名な医師を前に訴えます。「じゃあ、治しにいきましょう!」と返ってきた力強い言葉に励まされ、再び闘病生活が始まりました。

今度は手術ではなく、強力な抗がん剤を投与され続ける半年以上の長期治療。これまで常に持ち続けていた「絶対に治す!」という前向きな思考さえもかき消されてしまうほど副作用が強く、激しい腹痛と倦怠感で何も食べられず、身体はやせ細り、精神までも疲弊。病室から見えるビルを眺め、「あそこから飛び降りたら楽になれる」と考えたことさえあったといいます。

骨髄移植を検討するも適合するドナーはゼロ。しかし、医師や看護師の力を借りながら、自らの病気と治療の可能性を深く考察。海外の論文まで丹念に探し出して読み、それをもとに医師と治療方針を話し合うなど、徹底した“情報戦”でがんに挑みます。

とにかく生きるしかない」と7カ月間もの入院と抗がん剤治療を必死に耐え抜き、今度も何とか綱島の自宅に生還を果たします。その後も定期的に通院治療を続けた末、再発のリスクが大幅に低くなると言われる3年が経過したのはつい先月(2016年11月)のこと。「今年夏には脳腫瘍の手術からも5年が経ちましたので、やっと『元がん患者』という”肩書”になれました」と喜びます。

綱島に戻り勇気をもらう、初書籍は”地元産”

個人経営の綱島の店が大好きだという高山さん、これからは綱島を拠点に闘病経験を世界へ発信する

綱島の店が大好きで、特に「カルディ」へは何年も通っているといいます

苦しい治療のなかで、勇気づけられたのが“ホームグラウンド”である綱島の人たちだったといいます。地元の人が営む個人経営の店舗が特に好きで、行きつけの店を作ってきた高山さん。「退院後にやせ細った私の体を見て、戻って来たことに涙を流して喜んでくれた店主の方もいて、綱島に帰って来られてよかったとその時に実感しました」。

退院後、すぐに訪れたのがイトーヨーカドー綱島店の近くにある個人経営の喫茶店「カフェカルディ」(綱島西2)でした。「フラフラする身体をマスターに支えてもらいながら席についたことを思い出します。ずっと通っている私にとって”第二の家”のような場所なので、まずここに来たかった」と話します。

「出版社と打ち合わせて今回の書籍化が決まったのもこの場所で、執筆もカルディのテーブルでコーヒーを片手に、こつこつとやってきました」。本のあとがきに店名がさりげなく登場するのはそのためで、まさに”綱島生まれ”の書籍といえます。

出版後も「地元で多くの人が広めてくれ、娘の保育園の先生にまで応援いただきまして、感謝するばかりです」といい、天一書房の綱島店や日吉店などでは本を平積みにして販売され、多くの人の目に触れました。

がんが完治したと言っていい今、自らの経験を積極的に伝えることで、人の役に立ちたいという高山さん。がんや病気で苦しんでいる全世界の人に勇気を与える活動を、”第二の故郷”である綱島の地から本格的に始める考えです。

【関連記事】

外資コンサル出身の創業者がこだわる究極のバーガー店、日吉駅近にオープン(2016年10月7日、高山さんと同じアクセンチュアの出身者が開業)

【参考リンク】

オーシャンブリッジ高山のブログ(高山さんのブログ)

書籍「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」の紹介(幻冬舎)

綱島西3丁目のカフェ「カルディ」(「食べログ」)


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