日吉で生まれた伝説のタウン誌「とうよこ沿線」、36年続いた編集室を閉鎖へ

横浜日吉新聞
現在は編集室の片づけを進めている最中

編集室の片づけを進める岩田さん

日吉を拠点に東横線沿線の地域情報を発信したタウン誌「とうよこ沿線」をご存知でしょうか。1980(昭和55)年7月の創刊後、2000(平成12)年7月まで74回の発行を経て、情報発信の場をインターネットへ移す一方、地域の古い写真を集め、郷土の歴史を掘り起こす写真集「わが町の昔と今」を刊行し続けてきました。そんな“伝説のタウン誌”が一つの区切りを迎えようとしています。約36年にわたって日吉駅近くに設けてきた編集室を来月(2016年4月)15日に閉じる予定だといいます。

創刊以来、とうよこ沿線の“顔”であり続けた編集長の岩田忠利さんは「寂しいけど、今度ばかりは厳しい」と、部屋に置かれた古い書籍や資料を整理しながら話します。現在、編集室は日吉駅前のサンロードにあるビル2階に設けており、資料の整理や収集を行っているほか、シニア世代がIT社会に乗り遅れないようにと2004年立ち上げた「えんせんシニアネット」のパソコン教室も兼ねています。

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東横線沿線の文化人が多数登場、国内で高い評価

毎号、東横線各駅に焦点を当て地域の情報を徹底的に掲載した

毎号、東横線各駅に焦点を当てて地域の情報を徹底的に掲載し、高い評価を得たタウン誌「とうよこ沿線」

1980年に創刊したタウン誌「とうよこ沿線」は最盛期には5万部を発し、日吉駅近くに設けた編集室から東横線各駅の情報を発信してきました。日吉を中心に多数のボランティアスタッフが集まり、取材や編集、広告集めまでをこなしました。

紙面には沿線に住む文化人や著名人が度々登場する一方、時には“大物”といわれるような人も次々と巻き込んで執筆を依頼。岩田さんをはじめとしたメンバーが各駅を起点にその街をくまなく歩き、地元の名士から小さな商店まで地域情報を徹底して掲載しました。そんな地域密着の姿勢が共感を呼び、第1回のNTTタウン誌大賞やサントリー文化賞を受賞するなど、国内で高い評価を受けています。

一方で「これからは雑誌と通信が融合する時代になる」と早々に未来を予測し、1990年代に入るとすぐにパソコン通信やインターネットへも積極的に取り組み、1997年にはホームページ版を開設。20年近くが経とうとする現在も運営を続けています。日本にヤフーが上陸して間もないような黎明(れいめい)期からインターネットへ進出していたという伝統があります。

2000年から刊行を開始した写真集「わが町の昔と今」は大きな話題を集め、特に港北区版は品切れ状態

2000年から刊行を開始した写真集「わが町の昔と今」は大きな話題を集め、特に港北区版は品切れ状態

2000年代に入ってからは「とうよこ沿線を支えてくれた人たちが年をとってきて、さすがに定期的に発行する元気がなくなってきた」とタウン誌の定期発行はやめたものの、「年を重ねたからこそできることがある」と、写真集「わが町の昔と今」のシリーズに着手しました

「20世紀の写真を21世紀へ語り継ぐ資料として残そう」というコンセプトのもと、街の長老や旧家を訪ね歩き、大正時代から高度経済成長期あたりまでに撮られ、家に眠っている地域の貴重な写真を探し集めました。これは大きな反響を呼び、特に第1巻の港北区版は増刷も含め、品切れ状態となったほどです。

2004年には「パソコンやインターネットを学びたいという声が多くなった」と「えんせんシニアネット」を立ち上げ、1時間400円という低価格でパソコン教室を開いてきました。

幾度も危機を乗り越えたが「今回ばかりは・・・」

現在の編集室はサンロード沿いにあるビル2階に設けている

現在の編集室はサンロード沿いにあるビル2階に設けている

ただ、とうよこ沿線にとって、現在の主な収入はボランティア的な色合いが強いパソコン教室と写真集の販売だけ。これまで岩田さんが請け負ってきたカレンダー制作などの大口業務がなくなり、「さすがに編集室を維持していくのが厳しくなった」と閉鎖を決断した理由を語ります。

かつて、1980年に岩田さんの自宅で開いたとうよこ沿線編集室は「常に365日24時間フルオープンの状態だった」といい、ボランティアの編集メンバーが集うだけでなく、日吉周辺の住民からさまざまな相談が持ち込まれることも多く、「家の鍵をなくしたから助けてくれとか、犬の様子が変だから動物病院を教えてほしいとか、真夜中になればよく色んな電話がかかってきた」と振り返ります。

1980~90年代は、まだ24時間営業のコンビニもほとんどなく、深夜に電話を掛けられる場所は警察や消防くらいしかない時代。いつ誰からどんな電話がかかってくるか分からないため、寝る時は常に枕元へ電話を置いていたほど。

「今回ばかりは閉めるしかなかった」と話すとうよこ沿線の岩田さん

「今回ばかりは閉めるしかなかったが、これからも活動は続けたい」と話す岩田さん

地域に愛され、頼りにされていた編集室ですが、雑誌の運営は常に“火の車”。幾度もの廃刊危機を乗り越え、その度に地域の企業や有志に支えられたり、岩田さん自身が借金をしたりして発行を続けてきたという歴史があります。「今まで何度も何度も危機を乗り越えてきたけど、今回ばかりはどうにかなりそうにもないですね」と寂しそうにつぶやきます。

40歳でとうよこ沿線を立ち上げてから36年。日吉を拠点にひたすら突っ走ってきた岩田さん自身も、高齢者と呼ばれる年齢になりました。

「大田区とか川崎の幸区とか昔の写真を集められていない地域がまだまだ残っている。1日最低でも2人は知らない人に会うことを目標にして、これからも活動は続けていく」と話します。編集室は閉じてしまうことにはなるものの、前向きに活動を続けようという姿勢はまったく変わりません。

【関連記事】
「とうよこ沿線」の岩田忠利さん迎え、9/25(金)午後に日吉町自治会館で講演会(2015年8月21日)

【参考リンク】
とうよこ沿線ホームページ


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