<日吉の東日本大震災>震度5強、真っ暗で死んだような駅前、計画停電に振り回された日々 | 横浜日吉新聞

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東日本大震災を伝える新聞(2011年3月12日の東京新聞)

東日本大震災を伝える新聞(2011年3月12日の東京新聞)

まもなく東日本大震災から5年。2011年3月11日、大震災が起きた後、日吉の街が真っ暗闇になったことを覚えていますでしょうか。“大人”にとってはつい昨日のようにも思えますが、当時、小学生だった子どもは高学年になったり、中学生や高校生になったりしていて、大学生として日吉に住んでいた人は、もうこの街にいないかもしれません。そんな少し昔の様子を振り返ってみましょう。

2011(平成23)年の3月11日は金曜日。週末まであともうひと踏ん張り、といった午後の時間帯に日吉の街は大きな揺れに襲われました。日吉本町2丁目の駒林小学校に置かれた震度計は「5.0」という数値を記録。これは「震度5強」に相当します。気象庁による定義では「多くの人が行動に支障を感じる。テレビが台から落ちたり、タンスなど重い家具が倒れることがある」とされるほどの大きな揺れでした。

大地震の発生後、日吉東急の正面玄関に座り込む人たち(2011年3月11日、不動産店「日吉の住産」撮影)

大地震の発生後、日吉東急の正面玄関に座り込む人たち(2011年3月11日、15時56分撮影、不動産店「住産」提供)

日吉に近い武蔵小杉周辺の震度計は「震度4から5弱」、大倉山でも「震度5弱」ですので、日吉の揺れは周辺地域より大きかったことになります。たとえば、震源地に近い宮城県気仙沼(けせんぬま)市の本吉や石巻市の大瓜(おうり)という場所に置かれた震度計と同じ数値です。神奈川県内で震度5強を記録したのは日吉を含めて12地点しかありません。

こうした大きな揺れが影響したのか、地震発生直後から日吉駅を中心とした一帯では、長時間の停電に見舞われます。日吉本町1丁目と2丁目を分ける「赤門坂」を境に、日吉駅側(日吉本町1丁目や日吉2丁目など)では23時ごろまで8時間も「真っ暗」という状態です。

当然、東横線も目黒線もグリーンラインも即座に運転中止。道路の信号も消えたままですので、綱島街道には警察官が手信号で交通を制御しなければなりませんでした。こんななかでもバスとタクシーが動いていたことに、心強く感じたのではなかったでしょうか。

箕輪町では体育館で一夜、慶應学内は停電で危機

停電で駅前は真っ暗となったなか、日吉駅でタクシーを待ち続ける人たち(2011年3月11日、15時56分撮影、不動産店「日吉の住産」提供)

停電で駅前は真っ暗となったなか、日吉駅でタクシーを待ち続ける人たち(2011年3月11日、22時19分撮影、不動産店「住産」提供)

停電の影響は慶應義塾大学の日吉キャンパス内にもおよびます。24時間稼働させなければならない研究用の設備や、インターネットのサーバーといった情報インフラなどが学内に置かれています。当初、緊急用の自家発電装置で動いていましたが、この電力を学内に残った学生を保護するうえで利用するため、機器類を停止せざるを得なかったといいます。日吉の長時間停電で、慶應大学の情報インフラが危機に見舞われました。

一方、日々都内の企業へ通う「日吉都民」の皆さんが「家にも家族の携帯にも電話がつながらない!どうにかして日吉へ帰らねば」と会社周辺で焦っていた頃、地元では電気がない状態でした。都心部では停電が起きなかったため、帰宅するまで電気が止まっていることを知らない方が多かったのではないでしょうか。

日吉では停電の影響で携帯電話の基地局も落ちつつあったので、携帯電話の通話は難しくなる一方でした。日吉都民の人たちは、鉄道が動いていないために都内を脱出できず、日吉へ向かって綱島街道を何時間も歩いたり、ようやく動き出した東急線を使ったりして、家へたどり着いた頃には、電気が復旧した後の深夜だったかもしれません。

地震発生後から停電が続いていた日吉駅周辺の電気は23時過ぎにようやく復旧した

地震発生後から停電が続いていた日吉駅周辺の電気は23時過ぎにようやく復旧した(2011年3月11日、23時13分撮影、不動産店「住産」提供)

東横線と目黒線は、都心の鉄道では比較的早く復旧しています。22時30分ごろから動き始め、その後は終夜運転を行いましたが、山手線などのJRは終日の全面運休となりました。地下鉄も銀座線などがあまり動いていなかったため、日吉へ帰れたのは真夜中から明け方だったという人も多かったはずです。一方、地下鉄グリーンラインは23時20分から運転を再開し、朝4時前まで運転を続けました。

地震発生から数時間後、箕輪町では町内会のメンバーが日吉南小学校(日吉本町4)へ集まり、体育館に防災拠点を設置し、親が迎えに来られない児童や帰宅困難者の受け入れを始めています。

相次ぐ余震に不安を抱く周辺の住民も集まり、児童2人と帰宅困難者を含めて約40人が体育館で一夜を明かしました。日吉南小学校の付近では停電が起こっていなかったことも幸いでした。神奈川県内で体育館に“避難所”を設けたケースは珍しく、箕輪町内会の迅速な取り組みは、地域の防災を考えるうえで注目を集めました。

日吉東急や「ながえ」に食料を求め長蛇の列

3月11日以降はテレビに緊急地震速報が頻繁に流れた

3月11日以降はテレビに緊急地震速報が頻繁に流れた

地震の翌日は土曜日。都心や日吉にとどまっていた人たちが家に帰り着いた頃、日吉の街でも変化が起こりつつありました。

終夜テレビで流れ続けた津波による悲惨な映像と、福島で原子力発電所が暴発し、放射能の危険が広範囲に広がっているとのニュース。これからどうなってしまうのか、と不安に思った方が多かったことでしょう。大きな余震が続き、テレビから突如流れる緊急地震速報にひやりとすることが続きます。

人々の不安な思いは、「非常食の備蓄」という行動に走らせます。停電解除後に営業を再開していたコンビニの商品はみるみるうちに消えていき、スーパーにも長い列ができました。「計画停電」という名の無計画な停電予定に振り回され、鉄道はまともに運転ができず、物流も混乱。スーパーも正常な営業に戻るには程遠い状態で、人々の備蓄に拍車をかけました。この頃、営業時間を極端に短縮した日吉東急やスーパー「ながえ」などには開店前から長蛇の列を成しています。

地震の翌週は3月14日月曜日。平和な普段なら「ホワイトデー」ということになりますが、日吉都民は大混乱。朝と夕方こそ、減便しながらも東急線は動いたものの、計画停電に備えるためとして、昼間は渋谷と武蔵小杉間の運転となり、日吉に列車が来ることはありませんでした。この頃、福島原発事故の影響を考え、自宅待機を命じられた企業も多かったのではないでしょうか。

計画停電の実行は3回、無計画さに日吉の街は混乱

計画停電で信号も消えてしまったため、綱島街道で交通整理する警察官

計画停電で信号も消えてしまったため、日吉駅前の綱島街道で交通整理する警察官(2011年3月17日15時42分撮影、不動産店「住産」提供)

「明日は実施します」と言われながら中止になることが幾度かあった計画停電ですが、3月17日(木)の15時40分ごろ、ついに日吉の街でも現実のものとなります。この日は予定に入っていなかったはずなのに、朝に急遽決まったといいます。

停電したのはまたも駅周辺が中心で、日吉の中心部は死んだかのように真っ暗となりました。そんななかでも自家発電機やローソクを使って薄暗いなかでも営業していた駅前商店街のコンビニや飲食店は希望の光に見えたものです。

翌18日(金)は昼間2時間の停電、3月22日(火)の夕刻に3回目の停電が行われました。日吉の街で実際に停電したのはこの3回でしたが、無計画な停電予定情報に振り回され、その度に日吉東急などのスーパーや駅周辺の商店、保育園などは対応を迫られることになり、停電区域内である慶應大学日吉キャンパスでは卒業式を中止せざるを得ませんでした。

暗くなってからの計画停電で、懐中電灯やロウソクを使って営業する店舗も(

暗くなってからの計画停電では、懐中電灯やロウソクを使って営業する店舗も(2011年3月22日17時34分撮影、不動産店「住産」提供)

日吉の街が日常へ戻ったのは地震から1カ月後、4月12日に東京電力が計画停電の中止を発表した頃だったでしょうか。とはいえ、この頃も緊急地震速報が頻繁にテレビから流れており、駅やスーパーなどでは節電でうす暗い状態が続くなど、まだ落ち着けない状況だったことは間違いありません。

(ちなみにこの年、2011年9月21日には首都圏に台風が直撃し、日吉では駅周辺で20~30分ほどの停電被害が起こっています。電気の大切さと依存度の高さ、自然災害の恐ろしさを痛感させられた年だったかもしれません)

5年間を経た今、当時の混乱を忘れつつあり、節電も停電も無縁の状態が当たり前になっています。毎年秋に各小学校などで行われている防災訓練に参加する人も多くはありません。

しかし、日吉を含めた横浜市では「30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率」が78%と首都圏ではもっとも高い確率が示されています。8割の確率で大地震がやってくるのです。大地震から逃れられる確率はわずか2割しかありません。

今、地震が起こったらどうするか。日吉に住む以上は、常にそんなことを考えておかねばならないようです。

(※)震災発生直後の日吉を記録した貴重な写真は、中央通りで不動産店「住産」を営んでいる米沢淳さんからお借りしました。米沢さんが2002年から日々発信しているブログ「日吉☆スケッチ」では、地震発生当時やその後の日吉の様子を写真とともに細かに伝えていますので、本記事を書く上で貴重な情報となりました。感謝申し上げます。

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想定される地震で港北区はこうなる!!PDF、港北区災害ボランティア連絡会ニュース2013年9月号)


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