<日本興亜>30年の歴史持つ事務拠点と研修施設「日吉センター」を閉鎖し撤退

横浜日吉新聞
損保ジャパン日本興亜の「日吉センター」、最終日となった2016年2月15日には既に人の姿はなくひっそりとしていた

損保ジャパン日本興亜の「日吉センター」。最終日となった2016年2月15日は守衛も含め人の姿がまったくなく、ひっそりとしていた

アピタ日吉店に隣接する損保ジャパン日本興亜の「日吉センター」内で、傘下企業が運営していた「日吉計上センター」(箕輪町2丁目)が昨日2016年2月15日限りで閉鎖し、業務を横浜市内に移していたことがわかりました。これで日吉の地から損保ジャパン日本興亜は完全に撤退したことになります。

損保ジャパン日本興亜の日吉センターは当時の興亜火災(現:損保ジャパン日本興亜)が、この地に本社と工場を置いていた岡本工作機械製作所(群馬県安中市)から1982(昭和57)年に土地を購入し、コンピュータによる事務処理や社員研修を行う場として72億円をかけて約30年前の1986(昭和61)年4月に開設した大規模施設です。

真正面に見えるのはNRI野村総研のデータセンターで、損保ジャパン日本興亜の建物は左手奥にあり、入口からは見えない。左側に見えるのは旧アピタ日吉店の駐車場跡

真正面に見えるのはNRI野村総研のデータセンターで、損保ジャパン日本興亜の建物は左手奥にあり、入口からは見えない。左側に見えるのは旧アピタ日吉店の駐車場跡

日吉センターの敷地内には「研修棟」(地下1階、地上5階)と「事務棟」(地下1階、地上3階)、「実習棟」(地上1階)を建設。研修関連の施設は「日吉研修センター」と呼ばれ、100名収容の大教室など大小6つの教室ほか、102名が収容できる宿泊施設を併設し、喫茶室や娯楽室も設置。実習棟では、自動車修理費の見積を学ぶための実習を行っていたといいます。

事務棟は「日吉事務センター」と呼ばれ、興亜火災の保険契約に関する重要なデータを扱う重要な拠点として活用。事務処理用のコンピュータを置いていることもあり、頑丈な50メートル四方の鉄筋コンクリート造りの耐震構造として設計。当時の興亜火災の頭脳部といえる重要な役割を果たしてきました。

ただ、その後は損害保険業界の再編で合併が繰り返されるなど、興亜火災の経営環境が激変。同時に日吉センターの役割も変わってきました。近年は、損保ジャパン日本興亜の傘下にある「損保ジャパン日本興亜ビジネスサービス」(本社・西東京市)が「日吉計上センター」という名で、旧日本興亜系の損害保険に関する処理業務拠点として活用してはいたものの、研修施設としての役割は数年前に終えていたといいます。

損保ジャパン日本興亜の建物(左側)とNRI野村総研のデータセンターは隣り合っている

損保ジャパン日本興亜の建物(左側)とNRI野村総研のデータセンターは隣り合っている

親会社で同建物と土地を所有する損保ジャパン日本興亜ホールディングスは、この日吉センターについて、売却先を明かしていないものの、今年3月に47億9700万円で売却することを昨年(2015年)秋に発表。売却期限の3月を前に完全撤退となりました。

アピタ日吉店など一連の敷地内では、損保ジャパン日本興亜の隣にあるNRI野村総研の「日吉データセンター」と「日吉寮」が昨年(2015年)末までに閉鎖しています。現在も残るのは、アピタ日吉店閉店後も同店内で営業を続けている宝飾店「ヒラタ」や「サンテラス歯科」など5店舗と、旧NRI野村総研の日吉寮付近に設置した「プラウド日吉」(野村不動産が建設中の大型マンション)のモデルルームだけとなりました。

なお、アピタ日吉店など一連の跡地については、NRI野村総研の日吉データセンター跡に公立小学校が新設されるほか、残る敷地には野村不動産などがマンションを中心とした再開発を予定しており、2社が完全撤退したことで、開発に向けた動きが加速しそうです。

【関連記事】

NRI野村総研が日吉から撤退、社員寮も「東洋一」のデータセンターも閉鎖(2016年2月3日)

<アピタ日吉店の再開発>最大の注目は隣接する野村総研と日本興亜の敷地を含むかどうか(2015年8月23日、、アピタ日吉店など一連の土地の経緯を掲載)

<コラム>アピタ再開発が目指す「都市型コンパクトタウン」の謎に迫る(2015年11月21日、一連の再開発に関する内容)

【参考リンク】

損保ジャパン日本興亜ホールディングス半期報告書PDFファイル=2015年4月1日~9月30日、16ページ目に日吉センター売却の記載あり)

損保ジャパン日本興亜ビジネスサービスの採用サイトに掲載された日吉計上センターの様子(ページ下部)


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